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⚠️ 本作は、CoCシナリオ『鰯と柊』の二次創作小説であり、シナリオとは無関係です。また、作品には軽度な性描写(性的な誤解や意図しない性行動への接近等)が含まれます。自陣の正史でもないです。ご承知おきください。

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ノックの音がした。今は、何時だろうか? 思考よりも先に身体を動かしていた。椅子の脚が床をかく音に、外の気配が反応する。次の瞬間、ためらいのない手つきで扉が開かれた。  立っていたのは、守栖藤司だった。夜の帳を割って飛び込んできたその姿は、常の剛健、泰然とはかけ離れていた。守栖は広い肩を縮こまらせ、吐き出すように言う。 「エル様が、エロシに行ってしまう……!」 「……はい?」  鬼灯は、夢の続きを見ているのかと錯覚した。だが守栖の顔に冗談や比喩の色はない。ただ、切迫と焦燥が浮かんでいた。呆気に取られていると、狼狽した守栖はさらに踏み込んでくる。 「鬼灯! あ、あなたが頼りだ。幽々は、わかってない……!」  その口調はいつものように慎重ではなかった。早く、断片的で、全ての単語が唐突だった。 「エル様が、エルが、エロシに行くと言って、先程……幽々は、金がかからないなら、いいだろうと……取り合わない……!」  呼吸が浅くなっている。  鬼灯は、自身の意識を現実に引き戻すように、目頭を押さえた。『エロシ』は、鬼灯にとって聞き慣れぬ単語だった。その単語が示す意味は明瞭ではなかった。だが、想像はできた。長く世俗で暮らし、様々な言葉を聞いてきた身には、蓄えられた文脈というものがある。──おそらく、性的な内容。 「……エロティックなものでしょうか?」  シ、の示すものまではわからない。間違っていないことと、間違っていることを等しく願いながら口にしたその推測に、守栖は深く頷いた。 「た、正しい……理解、です。エロティック……な、シナリオの……略称。エル様はそれを、パソコンで、遊ぼうと……しています」  一つの謎が解け、同時に別の謎が生まれる。  シナリオとは何か。演劇のようなものだろうか。電子媒体による発禁指定のノベルゲームが想像される。それは『エロゲ』ではないのか?  守栖がここまで説明を乱すのは、珍しいことだった。つまり、それだけの事態が起こっている。 「教祖様が……何らかのエロティックなコンテンツに、興じようとしている……そういうことでしょうか?」  鬼灯が訊ねると、守栖は再度頷き、拳を握り締めた。その手の中には、彼が常に肌身離さず持つ、銀のペンダントがあった。信仰の証のように、強く、強く握られていた。 「エル様は、遊びの約束があると……エロシに行くと、言っています。もし苦言を呈すれば、約束を破るのは、悪いことだと……私の言葉を、咎めるでしょう。でも……」  彼の声が震え、それから、堰を切ったように崩れ落ちた。支える間もなく床に座り込み、腕で身体を支えながら、呻くように繰り返す。 「──私が……ぼくが、止めないと……! エルは、きっと……応じてしまう…………!」  床に膝をつき、頭を垂れる。その姿は懺悔のようであり、哀願のようでもあった。  鬼灯はその肩を支え、深く息を吐くようにして諭す。 「守栖様、落ち着いてください! 教祖様は、成人男性です」 「落ち着けない……!」  鬼灯は、彼の肩を支えながら、静かに語りかける。 「私たちが思う以上に、教祖様もまたひとりの男性であるのです」 「……わかってます……。わかってる……でも……!」 「不自然なことではありません。異端でこそありますが、かのイエスにも、マグダラのマリアとの関係を肯定する解釈すら──」 「エルは……イエスじゃない!」  叫び声。彼は地を打ち、背を丸め、呻くように揺れた。体を震わせ、腕を伸ばしては縮め、書類の山を散らしてゆく。  しばらく見守って、ようやく沈黙が訪れた。  彼の目元には、涙が浮かんでいる。先ほどの運動による汗も滲んでいるが……葛藤しているのだ。教祖様のお立場と、自由を想っている。きっと、彼らはお互いがお互いにとって家族のようなものなのだろう。鬼灯は、自らの家族を思い浮かべる。満たされた、幸せな日々。それらを理不尽に壊した者へ天罰を下した人の安寧が、今脅かされようとしている。 「守栖様。教祖様のご予定は」 「今夜、です。直に、始まってしまう……」 「……行きましょう」  見過ごしていいものとは、到底思えなかった。

廊下を進み、教祖様の部屋の前に立つ。扉を叩くと、すぐに返事があった。 「今、行くよ」  在室を確信し、部屋へ割り入ろうとする守栖を鬼灯は止めた。 「守栖様、お待ちを。……性に関心を持ち始めた者の部屋に、同意なく踏み入るのは……互いにとって傷となりましょう」  鬼灯の言葉に、守栖は静かに頷いた。  数秒後、扉は内側から開かれた。ぼんやりと暗く、橙の灯のともった室内から、教祖が顔を覗かせる。 「お待たせ。……どうしたの、二人とも。息が荒いよ。鍛えてた?」 「こんばんは。夜分にすみません。守栖様はいつも通り鍛錬を、私は書類仕事をしておりまして」 「そうなんだ」  妙な様子は見受けられなかった。例えば頬が紅潮しているとか、息が荒いということもない。着衣に乱れがあるということもなかった。ワンピースでは判断が難しいが、一先ずは無事だろう。 「……藤司くんも、弥也も、えらいね」  柔らかな笑み。教祖様はこちらに何か窺うような目線を向けた。そして、不安そうに眉をひそめる。 「ね、ねえ……二人で、どんな話をしてたの?」  背筋が冷える。この場で、「あなたがエロティックなコンテンツに興じようとしているから止めに来た」と誰が言えるだろうか。 「ボクのこと、嫌いって話じゃ……ないよね?」 「違う。エルの話は、してない」  守栖が、教祖の肩に触れた。その言い方は、まるで息をするように、自然な嘘だった。教祖様は時々このように物憂げな反応をなされる。鬼灯にはそれが不可解だった。 「……ホント? そっか……ごめんね。廊下は寒いよね。入って」 「ありがとうございます」  頭を下げ、入室する。教祖様の部屋には、人を迎えるためのソファがある。そこへ座るよう促される。仄暗い室内は、どこか神聖な空気が漂っていた。 「二人がボクの部屋に来てくれて嬉しいよ。でもボクにはこれから約束がある。だから二人のことは、少しの時間しか部屋へ入れてあげられない……藤司くんは、知ってるよね。時間になったら、弥也を帰してあげて?」 「…………はい、エル様」  声が、強張っている。彼は教祖様のご家族でありご友人であると同時に、忠実な部下でもある。首肯するしかないだろう。  鬼灯は静かに座し、視線を定めた。──今、何をすべきか。 「……その約束というのは、エロシでございますか?」  教祖様は、目を輝かせて頷いた。 「知ってたんだ。……弥也もやったことある? 人気なんだって」  たしかにアダルトコンテンツは人類史において常時大人気と言えるだろう。 「いえ。私は、嗜んでおりません。どのような遊びで?」 「ボクも初めてだから、よくは知らないけど……パソコンに、耳当てを刺して、相手の声を聞くの。マイクに話すと、パソコンで電話ができるんだよ」  ──それは、通話の仕組みである。 「パソコンの電話で、ゲームを?」 「台詞のない台本があって、二人で劇をやるんだって。サイコロを振ることもあるらしいよ? 面白そうだよね」  台詞のない台本、と聞いて『シナリオ』の意味がようやく腑に落ちる。察するに、大枠の流れが用意されているので、台詞を即興で考える遊び、ということだろう。しかし、目の前のお人は、エロシのエロが意味するところすらも、理解していないようだ。エロシ──『エロティックなシナリオ』の意味を、教祖様が正確に把握していないことは、ほぼ間違いがなかった。 「どちらの方と、遊ばれるので?」 「パソコンの人。……優しい子だよ。ボクのこと、かわいいって言ってくれる」 「それは……良かったですね」 「うん。ボクとキスしたいって言うから、マイクにしてあげたら喜んでくれたよ」 「…………鬼灯」  隣から、地に響くような低音で呼びかけられる。その声音には、言葉にならない焦りが滲んでいた。事の重大さがわかるか、と問われているようだった。 「エロシって好きな人とやるんだって。ボクのこと好きって言ってくれたんだよ。うれしいな……」  何を言えばいいか、いよいよわからなくなってきた。教祖様の安寧が脅かされようとしている。それは確かだ。しかし、脅かしているのは、我々のほうなんじゃないだろうか? 「エロシ……ですか……」  鬼灯は呟く。エロシは、悪なのだろうか。悪でないとするなら、エロシを阻止することは悪になるだろうか。揺れる。やはり教祖様にも、エロシを遊ぶ自由を許されるべきなのか? しかしそれは、果たして『自由』と言えるものなのだろうか。事が起こる前に、エロシが意味するところについて説明をすべきなのか、何から始めるべきなのか。その説明自体が、エロシを遊ぶことと同等の行いになりやしないだろうか。発禁指定は、このお方のような方を、想定していない。  鬼灯には、だんだんとわからなくなってきていた。止めねばならぬ気がする。しかし、問題は非常にセンシティブで、鬼灯は寝起きだった。 「あ、そろそろ時間だ。ごめんね二人とも……また来てよ」 「……エル」  守栖が立ち上がる。動きは緩やかだが、その眼差しは、決して揺れていなかった。 「藤司くん?」 「同席を、させてください」 「藤司くんもエロシがやりたいんだね。後で教えてあげるね」 「いえ、今……今すぐ」 「い、今? で、でも……二人用だって聞いてる……。どうしよう……幽々を呼ぶ?」 「そういうことではありません。観戦でもいいので……」 「観戦? 観たいの?」 「……はい」  その声には、命綱を握るような切実さがあった。鬼灯は視線を交わし、一つ、決意する。 「私も、同席いたします」 「弥也も?」 「……興味が湧きましたので」  それは、偽りではなかった。  教祖エルは、彼らの提案に頷いた。 「それなら……いいよ。ボクのことは神様が見てる。二人増えても、変わらないよね。そこで見てて?」 「はい。後ろで、見ています」

教祖様は、パソコンに向かって腰を落ち着けた。その動きには、幼い無邪気さと、不思議な厳粛さが同居していた。ノートパソコンは新しいもので、不慣れな手つきがそのまま画面に現れる。  起動音が鳴り、画面が光る。  そして、通話がつながった。 『えるちゃんおつ〜』  おつかれさま、と返す教祖の背後で、鬼灯は息を呑んだ。──今、この男は『えるちゃん』と? 教団内の誰もそんな呼び方はしない。それに、今のその声は、軽すぎる。異様に、軽い。まさに軽薄と言えた。 「本名でインターネットを、してはいけないと……つ、伝えるべきだった」  背筋を正したまま、守栖が呟く。その顔は蒼白だった。 「あ、ごめんね……少し遅れちゃった……」 『一分じゃん! 気にしなくていいっすよ!』  明るく、やや砕けた口調の男だった。  意図的な媚びでも、下卑た狙いでもない。彼はただ、素でこういう話し方をするのだろう。 「エル様に、謝罪をさせた……?」  守栖が、低く、かすれる声で言った。言葉というより呟きに近い。信じがたい。そう思っているのが、口にされずとも伝わってくる。 『緊張するな〜。俺、エロシとか回したことないんすよね』 「そうなの?」 『えるちゃんだけだよ。好きな子とやるやつだし。今日も声かわいいね』  まるで恋人に向けた口調。そこには嘲りも、狡猾さもない。 「ボクもキミのこと好きだよ」 『前送ってくれた写真めっちゃかわいかった。今ショートなんすよね?』 「キミが見たいって言ってたから、探したよ。……喜んでもらえてよかった。うん、今は短いんだよ。それは切る前の写真」 『や、ほんとかわいい。俺ロック画面にした……ってキモい?』 「ううん。嬉しいよ。気に入ってくれた?」  交際したてのカップルの会話のような会話が為されている。何か写真を送ったと聞こえた気がするが、もうそれは手遅れで、今考えるべき事項ではない。鬼灯は一度思考を止めた。  ここまでのやりとりで、わかったことがある。一つは、この男に教祖様をからかう意思はなさそうだということ。声色というか、ムードが本命相手へのものだ。そうでなければ相当な手練れで、わざわざ通話での性的遊戯に興じる動機も薄いように思われた。声フェチである可能性は高い。  守栖様、と視線を向ければ「昔のエルは……か、髪が長かった」と説明を添えた。教団のことは話していないようだったから、そこまで遡らなければ、教団と無関係な写真が見つからなかったのかもしれない。教祖様は少々、中性的な容姿をしていらっしゃる。髪が長いとなれば、もしかして男性なのではないかという疑いすら退けられたのかもしれない。 『彼氏いたことないって聞いてビビったなー』 「そうなんだ?」 『俺にとってはラッキーなんすけど……!』  この男は、おそらく教祖様を女性だと誤認している。そしてなぜか教祖様はそれに気づかず「彼氏」などというほぼ決定的な単語が出ても訂正しようとしない。「彼氏はいたことがあるか」という質問に対して「彼氏がいたことはない」と返答しているだけ、といった雰囲気だ。  このやりとりを、断ち切る術はある。誤解を解く、あるいは強制的に中止させる。  だが、誰も動けなかった。どう転んでも悲劇的だ。鬼灯は頭を抱える。この状況では、通話相手の男にも、同情を覚えてしまう。盗み聞きしている方が悪いのでは? 破綻を眺めることしかできないのは、傍観の罪にあたるのだろうか?

エロシとやらは、たしかに劇の体裁をとっていた。男が場面設定を読み上げ、教祖がそれに応じる。 『すると突然、雨が降ってくるよ』 「わー……傘がないよ。濡れちゃうね」  一番初めの詩歌が少々扇情的でこそあったが、その段落が終わってしまえば日常生活のようなものだった。男はデートのシチュエーションを読み上げ、教祖様はそれに応える。今のところは、ただ街を歩いているだけ、といった印象だ。愛し合う二人が通常行う健全なデートの域を出ない。教祖様は、お友達と遊んでいる、といった体裁を崩さないが、相手にはそれが純粋な交際の景色に見えているようだった。 『雨宿りしようよ。えるちゃんも、俺の部屋に来ますか?』 「うん。そうするね。ボク、楽しみだなー」  鬼灯は、察した。もしこれがエロティックなコンテンツであるならば、この部屋が舞台となる。そして教祖様は、ただの遊びとして受け取っている。確信があった。耳を澄ませる。 『びしょ濡れだね。風邪引いちゃう。洗濯しないとな』 「ほんとだ。寒くなっちゃうね」 『じゃあ毛布で包んじゃお』 「わー、ふわふわだね」  ……楽しそうにしている。現在、舞台のキャラクターは、半裸なのではないか。毛布ではなく、服を着せてやればいいのでは? 元から台詞がないような話なのだから、服ぐらいどうにでもなるだろう。ここで本来想定される展開は、入浴なのではないか──エロティックの機運が高まってきている。鬼灯は警戒を強めた。隣の男は、ずっと険しい顔をしている。 『乾くまで雑談ができるよ。雑談表がついてる。……初めてキスしたのは?』 「手や頬にしたことはあるよ。でも、初めてっていつだったかな……?」 『マイク越しは?』 「キミが初めてだよ」 『ははっ! そっか! や……えるちゃん好きだわ〜』  伝え聞くところの合コンのような会話だ。もはやそこに役柄はなかった。隣から「不埒」と端的な評価が聞こえる。 『俺、……えるちゃんに会いたいなー』 「ボクもキミに会ってみたい」  絶対ダメです。しかし現在、多数決は会いたい、絶対会うなの二票ずつ。同票だ。せめて、後で説得しなければ。今はただ、固唾を飲んで見守る。 『通話越しでもさ、会ってる感じ出せんじゃない?』 「そうなの?」 『臨場感とかさ』 「お芝居と同じことしてみるってこと?」 『あー……ね! ……えるちゃんも脱ぐ?』  空気が、変わった。探るようなその一言は、すべてを決壊させた。 「脱げばいいの? 繋がってるから……上だけとかは、むずかしいかも。待っててね」  教祖様の手が、衣の裾にかかった。 「エル様!」  守栖藤司の絶叫が、室内を裂いた。  レッドカードだ。鬼灯は即座にノートパソコンに手を伸ばし、電源ボタンを押し込む。長押し。チューン……と、切なげな音が鳴き、画面が暗転する。 「……あれ? どうして?」  教祖様が、パソコンを不思議そうに見つめた。 「エル様……たいへん僭越ながら、ひとつ、確認を」 「なに?」 「先ほどのお相手様の『脱いで』というご発言……どういった意味合いで、お受け取りになられましたか?」 「えっと……キャラクターが脱いでたから」 「エル………………ごめん…………」 「どうして藤司くんが謝るの? な、なにか、良くなかった……? 間違えた……!? 良くないことだった……!?」  当惑。この場の全てが混沌としている。鬼灯は喉元を押さえる。胃が、きしむ。 「いいえ、教祖様。決して、良くないことではありません。しかしながら、脱衣というのはしばしば性的含意を有します」 「……? そうなんだ。でもボク、それでも……嫌じゃないよ?」  その一言に、もはや、守栖は土下座とも祈祷ともつかない姿勢で、床に張り付く。不甲斐ない、と筋力トレーニングを始めている。教祖様はなぜこれに何も反応しないのか。異様な光景の中、鬼灯は教祖エルへと語りかける。 「教祖様。嫌じゃない、というのは……本心で仰ったのですか?」  鬼灯の言葉に、教祖はしばらく考えてから、頷いた。 「うん。なにかしてあげたいんだよ。あの子はボクのこと頼りにしてくれてるし……好きって言ってくれたから」 「……エルが、そんなこと、する必要、ない……!」  息切れ混じりの守栖の叫びが響き、教祖様は眉を顰める。 「ボクが、したいんだよ?」  言い含めるような圧力を持った言葉に、鬼灯は答えを返せなかった。それは自由意志で、同時に従属の肯定でもあったからだ。  この方が、このようになるまで、どれほどの願いがその身に託されてきたのだろうか。そして、我々も同じことをしてきたのではないか。自覚は、刃のように鋭い。  パソコンの蓋を、そっと閉じる。  その場にいる者は誰一人として、語る言葉を持っていなかった。

「お前が最近ハマってた『えるちゃん』、彼氏できたんだって?」  缶コーヒーを片手に、コンビニの出入口で立ち話をしていた男が、何気ない調子で切り出した。 「あー……うん」  もう一人の男は、小さく笑って、目を逸らす。視線の先には、自販機の裏に生えた猫じゃらしがそよそよと風に揺れていた。 「どんまい」 「慰めが安くね? ……や、正直さ、嘘だと思う。メッセの雰囲気、全然違っててさ。でも嘘ですよねとか言えないよな」  声が少しだけ掠れていた。指先でスマホをいじりながら、返事のないトーク画面を無意味に開いては閉じる。 「お前は偉いよ」  缶を口元に運びながら、もう一人がぼそっと言う。労るでもなく、茶化すでもない言葉だった。 「俺も焦りすぎたっていうか……お嬢っぽかったから、親にキレられたんじゃねえかな」  ぽつりと吐き出された推測。どこか自分で自分を納得させようとするような響きだった。 「そういうことにしとこう……」  互いに正解がわからないまま、落とし所だけを握り合う。  二人はそのままコンビニに入り、レジ横のホットスナックコーナーで迷いもなくチキンを注文した。店員に「温めますか?」と訊かれ、同時に「そのままで」と返して笑う。店内を歩き、イートインと呼ぶにはお粗末なベンチに並んで座る。スリーブに入ったチキンをもそもそと齧った。 「奢りのチキンは美味いだろ」 「普通」 「つまんな。最近いいことあったんだろ?」 「……ああ、そうそう。バイト先の店長。胸糞悪いんだよな。新人の子ばっか狙ってキモかったし。行方不明だって」  ガサついた紙袋の音が、やけに虚しく鳴り響く。 「天罰って感じだな」 「俺なんも出来なかったからさぁ……悪いけどホッとしたわ」  油の染みた紙袋を握りしめたまま、男は言い訳のように笑った。  自動ドアが開き、店外の陽射しが差し込む。昼下がりのまぶしさに一瞬目を細めながら、二人は店を出た。 「ああ、今日、いい天気だな」  男は、ふと立ち止まり、ポケットからスマートホンを取り出した。空を見上げ、逆光の中にレンズを向ける。パシャ、と撮影音が鳴る。 「何撮ってんの?」 「空。……ま、なんでもいいんだけど」  返す声は冗談めいていたが、その指はシャッターを切ったばかりの画像を丁寧に開く。しばし眺めたあと、迷いなくロック画面に設定してみせた。 「……ああ、そういうこと」 「そうだよ! お前も見ただろ!?」  照れと怒りと諦めが混ざったような声色だった。 「勝手に見せつけてきたんだろ」 「見せるだろ!」  男は端末を握り、額にかざす。 「……あー…………好きだったぁ〜!」  それは叫びにも似ていた。肺の奥から絞り出すような声。山に向かって、空に向かって、あるいはもういない誰かに向かって。通行人がぎょっとした顔で振り返るのも構わず、男は突っ立ったまま、頭を抱えるように背を丸めた。  もう一人の男がため息をつく。 「恥ずかしいやつだな。ま、元気ならなんでもいいけどさ」  そっと、哀れな男の肩に手を置く。ただそこにいるということが、救いになることがある。

苦い笑顔を突き合わせ、二人は再び歩き出す。その足取りは、確かだった。


柊の訴えを聞かない真菰「エロシだぁ……? ……追加料金かかんねェなら好きにさせりゃいいんじゃね……?」

(エルがエロシやらねェでも……手を差し伸べられる量は変わんねえだろ。それなら……)

夢主通称:エロシ