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⚠️CoCシナリオ「鰯と柊」HO柊(とHO鰯)の夢小説です。本作には、主観的で歪んだ視点から語られる宗教的描写、暴力的言動、過度な他者批判が含まれます。ご承知おきください。

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誰も俺を理解しないのだ。社会で爪弾きにされた奴等が湿った土の上、石の裏に隠れるように身を寄せ合っているらしいと聞いて、俺は頭がいいからこいつらを利用してやればいいと思いついた。この世は愚か者で満ちている。他者を攻撃することでしか安心できないんだ。知的な行いというものの意味を知らない猿はくだらない競争で優秀な俺を弾こうと、みみっちい嫌がらせを重ねた。馬鹿の一つ覚えといえど心労は溜まるもので、俺は溜め込んだ苛立ちをぶつけようと教会へ問題を持ち込むことにした。決して楽ではない山道を登る一歩ごとに、汗が滴る。少しの辛抱だ。頂まで辿り着けば俺を下げる者はこの修行の報いとして全てを受けるのだ。そう自らを鼓舞して歩みを進め続けると、隔絶された目的地に辿り着き、胸一杯に空気を吸い込めば、清々しい心地がした。全てを見下ろせる神の如き気分だ。この教団の神も同じ理由でここにいるのだろう。  日を改めてください、と黒髪の男が言った。からがらたどり着いたのだと主張すれば観念したように「順番待ちです」と許可されたはいいが、長々と待たされた。涼しい部屋へ通されるのはともかく、暇で暇で仕方がない。その間俺は俺を弾いた者たちが罰を受ける様を想像し、悦に浸っていた。

散々座らされていると「お待たせしました」の声と同時に開かれた扉から、登り詰めた山のような長身が現れた。俺は初めこいつがこの集団の長なのだと思った。ゆったりと動くたび、長ったらしい前髪が揺れ、所作のすべてに意図があるかのように、儀式めいていた。その男は俺を上から下まで見定めるように観察して、これから食われる獲物に高等な意識があればこのようなことを感じるのかと思った。 「事前にお渡しした必要書類を、お出しください」 「あ、はい……」  とっくに書き終わった手元の書類を差し出すと、男はそれを受け取り、じっと俺の字を読み始める。何をするにも時間を取られるので、俺は何かを試されているのではないか、と疑った。しばし無言の時間が流れ、変わらない表情のままようやく口を開く。 「……相談室へ、どうぞ。エル様……教祖様がお待ちです」  俺は「合格」したらしかった。はったりだったのか、と安堵し、この男に案内をさせると相談室はすぐに見えてきた。 「エル様、お待たせしました。最後の方です」 「……ああ、入っていいよ」  俺は後回しにされたのか。内心苛立っていると、男にしては高く女にしては低い声に許可され、扉が開かれる。その部屋の奥に「教祖様」は座っていた。 「よく来たね」  気だるげに頬杖をつく、その容貌の異様さに胸がざわついた。色素の薄い髪が、光の加減によって白くも青くも見え、そのせいで顔の輪郭すら曖昧に見えた。子どもじみているようにも、大人びているようにも見える。年齢も人種もよくわからない。何もかも不明瞭な見た目というのは本能的に忌避感があった。神の子を名乗る狂人が目の前にいると言うのも、恐怖を煽った。何より目だ。開き気味の虚ろな目。俺は結局何もかもを見透かされてしまうのではないかと、だからなんだと言うのか、自分でもわからないが、一瞬だけそのような考えに支配された。  しかしそれは第一印象にすぎなかった。振り返ってみればこの男は特に簡単だった。馬鹿でもわかるようにわかりやすく丁寧に俺に降りかかった悲劇を説明してやると、その男は熱心に耳を傾け、しまいには涙を流し「キミのために祈る」と約束してみせた。そして恭しく不気味な動作で俺の額に掌を掲げ、何かぶつぶつ呟くと教祖は言った。 「これで救われるはずだよ」 「神様はボクのお願いを聞いてくれる」 「外の子は悲しいことがたくさんある……キミもここで暮らしていいんだよ」  教祖が俺を抱き耳元でそう説明する間、横に置かれている男は俺の動向に睨みを利かせていた。威厳ばかりを一張羅のように見せびらかしている。俺は力を誇示する奴は馬鹿だと思う。不快だった。従者にでも甘んじているつもりなのか、あるいは腹心としての地位にしがみついてるのか。どちらにせよ俺には理解に苦しむことだ。  この山を下り、話の通じない馬鹿どもと生活するなんてまっぴらごめんだ。性格の悪い馬鹿と性格の穏やかな馬鹿なら後者の方がマシだ。こっちの方が楽そうだし、俺はこの土地を気に入った。教祖の言葉に頷けば、手続きはあっけないほど迅速に進められ、俺の引っ越しの準備の方が間に合わないくらいだった。

入ってみれば、思ったよりも「楽」というわけではなかった。この教団ではそれぞれに「しごと」が割り振られ、信徒はそれぞれ職務を全うする。新興宗教、カルトの類では随分マシな部類だったから、許容できる範囲だった。異国の地で太陽に晒され何十時間も働くわけではないし、金の巻き上げや懲罰や拷問もない。一番多いのは農作業への従事だが、俺は頭脳を買われて物品発注を任された。計算と管理の能力が必要な仕事だが、俺にとっては多少の苦労で済んだ。 「一円足りねえだァ? 消費税の計算は合算に後掛けだぞ」 「わかってます」 「あー……じゃあ四捨五入してねェか? ほとんど切り捨てだ。癖でやるヤツ多いからな、もっかい確認しとけェ」  上司に当たる真菰という男は金勘定ばかり気にしてせせこましい。帳簿ばかり睨んで、愛想もない。聞けば教祖の昔馴染みは幹部に登用されているらしい。思い返せば教祖はあの長身の男──守栖藤司を「藤司くん」と親しげに呼んでいた。所詮はコネか。  黙々と確認していれば些細なミスはすぐに発見できた。昼休憩を取るよう真菰に促され、俺は食堂へ向かう。  昼時の大食堂には様々な顔触れが集まる。仕事を済ませ、席に着く。ここの飯は美味かった。大人数用の鍋の方がいい味のものができると俺は知っている。食材の雑多さがかえって旨味を引き出すこともあるらしい。思考停止の信仰ばかりのこいつらにしては珍しく、これは合理的だった。この教団には愚図ばかりで、俺に言わせれば、愚鈍な奴等だった。公平な世界を下から望み、神の救済とやらを信じ込んでばかりいる。勧善懲悪を心から望みいつかそれが叶うと信じてやまないのだ。  突如、食堂に、鋭い音が響く。 「……藤司くん」  教祖が眉を顰める。守栖が皿を割ったからだ。教祖がいくら簡単な男といえど、守栖の愚鈍さには内心嫌気がさしているのだろう。皿を拾おうと跪くあの男は手先も不器用で、もたもたとかけらを拾おうとする様はまるでつまらない儀式じみている。早く拾えと見ている方が苛立つ。見かねた教祖の手伝いを頑なに断り、伸ばした手を静止する。ささやかなプライドを守っているのだろう。くだらない男だ。  この頃の教祖は「お疲れの様子」らしく、険しい顔をすることが増えた。こんなところで馬鹿どもの統制をしなければならないと思えば、足りない頭も抱えるのも仕方がないだろう。皆が教祖を心配していた。さぞ気分がいいことだろうが、教団の長たる者の態度としてはいただけない。歴史的に見ても、権力者が富や権威を振りかざすようになったら、終わりなのだから。この集落もいよいよ終わりが近い。俺もどこかで抜け出すべきだろうか? 「キミ、何食べてるの?」 「えっ、あ……」  考え込んでいると、教祖様が、突然俺に声をかけた。隣にあの男は居ない。後始末をつけに行ったらしい。教祖は話し続ける。 「おいしそう。それ、なんて名前? おいしい? あ、肉じゃが?」 「肉じゃがじゃないけど、うま、いです。煮物……食堂の、人に訊けばわかっ……わかりますよ」 「そうなんだ。でもどれのことを訊いてるか伝えられるかな……これかぼちゃ?」 「かぼちゃです」 「おいしいよね。ボクはかぼちゃも好き。今日もね、新しい子が来ることになってる。あたたかくておいしいものを食べたらいいと思って、探してたんだよ」 「そうなんですか……」 「キミもおいしいごはんが食べられててよかった。キミのときはさ、よく覚えてるよ。あの時ボク、キミのことかわいそうだった。ここは楽しい? 嫌じゃない?」  何が『可哀想』なのか、問い詰めたかったが、目の前の質問に答え続ける。 「はい、あーっと、……楽しいです」 「幽々のとこで仕事をしてるんだよね。幽々は物知りだから、きっと色々教えてくれるよ。幽々もね、キミと同じ。助けさせてくれたからここにいる」 「あー…………っすね」 「…………誰も祈らなくて済むようになればいいのにね」  教祖様は俺の手を握った。初めて顔を合わせた時の抱擁と同じ温度があった。 「エル様」  胸郭に響くような低音。片付けを済ませたらしい守栖が戻ってくる。 「あ、藤司くん帰ってきた。またね」  エル様はその姿を見つけると、すぐにこの場を離れてしまった。  手に残る、羽根か何かが撫でたような感触。そこにしっかりと感覚があることが、かえって不気味だった。  気がつけば、食事の味がわからなくなっていた。箸は動いているのに、噛むたびに、自分の舌と脳の間に膜でもあるようだった。味が伝わってこない。  俺は深く息をつき、残りの煮物を口に押し込んだ。味のわからない中、仄かに温度だけは感じ取れた。

その翌日、教祖様は突然廊下にうずくまってしまい、涙を流されたと聞いた。それから一週間ほど、休息を取られた。お身体が優れなかったではないかと噂されていたが、俺はまず精神的なものだろうと当たりをつけていた。周囲では「あの方はいつも心を痛めていらっしゃる」「教祖様のお力になれることはないだろうか」「我々も篤信すべきだ」と声が大きくなっていった。

それから三日後の朝礼で「守栖様が神の恩寵を賜った」と発表があった。エル様と同じ力を手にしたのだという。神も贔屓をするらしい。労しい教祖様を見かねたのか、守栖を登用したのか。俺は善良で熱心なのにいつまでも恵まれない。優秀なのに周囲が評価しない。神もそうだと言うのか? あの男はただ教祖様の横に居るというだけじゃないか。いや、それどころか地位に固執し私欲にまみれた罪人のはずだ。神がそれを看過しているのか? 正義の名の下に、見過ごしてはおけない。神の恵みは等しく与えられるべきだ。

守栖は奇妙な男で、夜は自罰と称して懲罰室に籠っているらしい。その懲罰室はヤツのためだけに存在するものだ。こそこそと、やましいことがあるに違いなかった。俺は懲罰室の扉の前にちょっとした仕掛けをした。夜間に扉が開閉されればわかる細工だ。一週間、二週間と仕掛けて、それは毎日のように「夜間の外出」を示していた。周囲に確認すれば守栖はランニングをしているそうだ。敬虔なつもりだろうか? 俺には守栖を調査する義務があった。それは神の与えた天命のようなもので、守栖が神に相応しいかを俺が判断してやらねばならないからだ。

守栖は夜を必ず一人で過ごそうとする。守栖を追うにも方法はどうするかを考えて、俺は山を歩いた。日課だからだ。この山は好きだった。荒らす者は教祖様の腹心でも許されるべきではないだろう。

その夜も、俺は山道を歩いていた。日中と違って、夜の山は深く静かだった。風が葉を擦らせる音に混じって、遠くから微かにエンジン音が聞こえた。こんな時間に車の音がするなんて珍しい。ふと足を止めて耳を澄ますと、それは下の道へと近づいてくるようだった。  木々の隙間から道を見下ろせる場所へと、俺は慎重に身を寄せる。やがて、薄闇に浮かぶ車の輪郭が見えた。トラックだ。荷台に何かを積んでいるように見える。  ハンドルを握っていたのは、守栖だった。  彼は車を停めると、周囲を見回し、特に誰かを警戒する様子もなく荷台の後ろへと回った。そして、何かを肩に担ぎ上げた。それは重たそうな、布に包まれた細長い塊だった。俺は息を呑んだ。  守栖は歩き慣れた様子で、脇道の奥へと進んでいく。俺はその後を、気配を殺して追った。山肌を少し下ったところに、大穴が口を開けて待っていた。守栖はその縁に立ち、担いでいた荷物を乱雑に投げ下ろした。  次の瞬間、スコップを手にした彼が、『荷物』へ無言で土をかけ始めた。  埋められていく。湿った土が、死体を隠して行く。何もなかったように、すべてを覆い隠す。

これが『加護』の正体なのだ。俺は即座に理解した。教祖様のお力は? いや、そちらは後でいい。目の前の守栖の方が問題だろう。恐ろしい自己愛だ。そこまでして立場が欲しいのか。呆れ返るが、一先ずはその場を去ろうとして、冴えた頭で閃いた。  ──自分もやればいいのだ。同じことを。  加護と殺人に何の違いもありはしない。口端が歪み、微かな息が漏れた。同じことをすればいい。虐げられた分、返してやる権利が俺にはあるはずだ。大拝祭が近い。そこで宣言をしよう。守栖様と同じ加護を授かったと。俺はようやく教団の規範となるよう讃えられる。羨望の眼差しを受け、エル様、そして守栖に並び立つ。ああ楽しみだ! きっと俺は幸せになれるだろう。

男の片目が、こちらを捉えた。


選ばれし殉教者

夢主通称:アンチスレ